痛みから学ぶのではなく愛から学ぶ

12月中もだいぶ炙り出しの経験をしたけれど、全ての経験の裏に愛を求めたり、愛になりたかったという自分があったことに気がついてしまったら、その経験がひっくり返ってゼロに戻ってしまった。
辛かったり、苦々しく思ったり、恥ずかしくなったり、怒りを覚えたり・・・そんな感情も裏を返せば、自分自身や相手への愛が形を変えただけのものだった。
そう気がついたら自己否定も相手への否定もくるんとゼロに戻ってしまったのだ。
私は愛の体験がしたかっただけなんだなとわかった。
そして、だいぶ前に『愛の体験からでも学べる』と聞いたときまだピンときていなかったけど、これが何を意味しているのかということもやっと腑に落ちたんだと思う。


どんな感情もその裏には、「愛したかった」「愛して欲しかった」「愛でありたかった」という愛を望む気持ちだけがある。
それは、私たちが愛だから。
地球で愛の経験をするために生まれてきているから。
私たちは源からわざわざ分離し、地球という美しい3次元世界で、ダイナミックでリアルな体験を通して愛を体現しようとしてきた。

肉体があるということは、全ての経験が本当にダイナミックに感じられる。
怪我や病気も、傷ついた痛みも悲しみも、辛い気持ちや寂しさ、孤独や喪失感、失望、自己否定・・・
そういうひとつひとつがとてもリアルで、重く苦しい痛みを伴う。

それは肉体のない世界での体験より、何百倍も何千倍もくっきりとはっきりとダイナミックにリアルに感じられる経験だ。

今まで私たちは、そんな大きな痛みを伴うリアルな体験を通して愛に気づく学びをしてきた。
大きな苦痛と共に覚醒する道を選んでいた。


だけど自分の本当の望みが愛だと気づいたとき、
愛の経験を通して愛を知ることができることにも気づいた。
優しさや光、いたわりや慈しみ、感謝、分かち合い、理解、希望、喜び・・・
そんな中からも愛を美しく知る体験ができる。

そう、それも分離している世界だから。
分離しているからこそ、この優しく美しい愛もリアルでダイナミックに体験できるのだった。

ワンネスに戻ったら愛はデフォルトとなり、当たり前となり、こんなに濃く愛を経験することもなくなってしまうのかもしれない。今経験できる愛は、分離している世界がゆえの素晴らしい体験。

だったら私はもう、この世界で体験する全てを美しい愛と希望だけにしたいと思う。
私たちは愛から学べる。
光の体験だけで、充分に成長できるのだ⭐︎