母の通過点

今日は知人と会ったのですが、その方は異国の方と結婚され、息子さんと主に英語で会話しながら暮らしていらっしゃる方でした。

最近一人っ子の息子さんが進学で自宅を離れて寮生活をし、とても寂しく感じていらっしゃるそうです。
年頃になった息子さんに「I love you」と声をかけても、子供の頃のように「I love you too」とは答えてくれなくなり、日々日本語が上達して自立しつつある息子さんを誇らしかったり頼もしかったり感じながらも、物理的な距離と心の距離を感じるたびに切なくなるようでした。

日本には、言わなくても伝わるとか、言われなくても察する・感じるなんていうことが当たり前にありますが、外国の方はストレートに愛情を表現することが当たり前だったりします。
その方も、生活の中で大好きだよとハグして態度で表現したり、言葉で伝えたりを繰り返してきた年月で親子の絆を深めていました。
彼女は日本人だし、日本の文化のことも、息子さんの態度は成長の証だとかそんなことも十分にわかっています。
けれどそれらを更に超えて上回る、行き場のない切なく寂しい気持ちや彼を大切に思う気持ち。
笑っているけれど、目に涙を浮かべて話す彼女。
幼い頃からの彼の姿を知っている私にも母の切ない想いは伝わり、一緒に胸が痛みました。
悲しみの深さはそのまま、息子さんへの愛の深さなんだなって思いました。


子供が巣立った後の空虚感や寂しさ。
これは何が埋めてくれるんでしょう。
仕事・趣味・自分の時間・パートナーとの時間。
彼女には全部あると思うけれど、それでもたった1人のかけがえのない存在に変えられるものはやっぱりないんですよね。


もう少し時間が経ったら息子くんも、母からのストレートな愛情を堂々と受け止められる器の大きなハーフくんになるのかな。
今は彼もきっと、日本の環境の中で必死に自分のアイデンティティを築いているはず。


時間が解決してくれるといいな。
今日の想いを笑って話せるといいな。
時間と共にやってくる未来が希望や喜びを伴ったものだといいな。
その未来につながる今という時間を楽しんで過ごせたらいいな。


そんな風に祈りながら彼女とお別れしました。